実は、英語が得意な人は世界史が苦手、世界史が得意な人は英語が苦手というジンクスがあります。
理由はよく分からないのですが、同じ文系科目でも頭の中の使ってる部分が違うような気がします。生徒も世界史を勉強しだしたら、英語が読めなくなったようなことをたまに言います。そして英語をやると世界史が抜けていくと。
でも英語と世界史は切っても切り離せないな関係があります。
洋書デビューにいいとされるVery Short Introductionsシリーズですが、試しにBig Dataという本を手に取ったとします。
一見すると世界史と関係なさそうですが、「データとは何か」という章から始まり、いきなりトゥキディデスとペロポネソス戦争の話が出てきます。
政治の話にせよ、教育にせよ、EUにせよ、外交にせよ、すべては世界史に通じます。憲法について調べてみようと思ったら、日本の憲法だけでなく、イギリスの憲法、ベルギー憲法、アメリカの憲法と、他国の憲法と比較しなければ本質が見えてこないのですが、その時に必要とされるのは世界史の知識なのです。
物事は比較することで本質が見えてきます。
東京から一歩も外に出たことのない人が東京の中をずっとうろうろしていれば、細かい地理には詳しくなるでしょうけど、東京の本質が理解できたとは言えないのです。
京都や奈良にいくことで「東京は新しい街だったんだ」と気づきますし、海外に行くことで、「東京は世界一治安のいい街だった」と気づきます。
同様に、学問も他国と比較することで本質が理解できるようになります。その比較材料として求められる知識が世界史です。英語ならドイツ語とフランス語をやることで、英語が本来どんな言語だったのかが見えてきます。
世界史は覚えることが多く、高校生の頃に手にする山川の教科書だと、A and B and C and D... とただ史実が列挙されているだけで、覚えるのが大変で嫌いになってしまう傾向があります。
自分は社会人になってから荒巻豊志先生の「世界史の見取り図」を読んだことで受験生の頃に取り組んでから消えかかっていた世界史が少しずつ蘇ってきた気がしました。
この本では、A because B. C because D.と「なぜそれが起きたのか」理由が書かれているのです。各国の駆け引きが分かると面白いものです。教科書は中立な立場を維持しなければならないし、紙面にも限りがあるので仕方ないのですが、予備校の先生が書いた本は思想に若干のカラーはついてるものの、読んでて面白いのでおすすめです。
英語はレベルが上がれば上がるほどハイレベルな語彙が求められますが、それと同時に読む内容が高度になると世界史の知識も必要になります。
語彙と世界史。この二つが英語の扉を開ける鍵になります。