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受験を通じて得られる副産物 退屈からの解放

「帰国子女」という言葉を聞いて何をイメージするでしょうか。

 

英語が得意になってそうで羨ましい、海外の文化を吸収できて視野が広がりそうだ、という意見はよく聞かれます。

私自身は4歳から9歳までアメリカのカリフォルニア州サンマテオ(サンフランシスコの郊外)に住んでたのですが、実は小さい子どもであったがゆえに、或る魔物と戦っていました。

 

それは、「退屈」です。

 

実は、アメリカは治安が悪いので、自分一人で外出する場合は、自転車に乗って家から100m先までしか自由に移動できなかったのです。学校に行くにしても、スーパーに行くにしても、友達の家に遊びに行くにしても、すべて親の車での移動でした。まさに車がないと何もできない世界です。

 

 

小さい頃はまだ本も新聞もよく読めなかったので(日本語も英語も中途半端でした)、家での娯楽といえば、テレビを見るか、裏庭で虫をとって遊ぶか、隣の家に住んでる子とゴーストバスターズごっこ、ニンジャタートルズごっこをして遊ぶか、という非常に限定的で小さな世界にいたのです。学校にいる方が楽しいとさえ感じるほどでした。

 

アメリカは免許を取得できる年齢が16歳からですが、もしあと7年もあの生活が続くとしたら、ちょっとしんどいものがありました。

 

日本に帰国してからは、自転車に乗って自由にコンビニでもスーパーでも公園でも商店街でも行けることに感動したものです。自由の国・アメリカなんて言われていますが、本当の自由は日本で味わいました。それは、移動の自由です。

 

 

ところで、

國分氏の「暇と退屈の倫理学」という本で「退屈」に対して面白い考察がなされています。國分氏は退屈を3種類に分けて考えています。

 

退屈の第一形式は、「何かによって退屈させられること」。

 

たとえば、駅に早く着いたとします。「電車が来るまで駅舎を眺めているが、殺風景で退屈で、あと何分で電車が来るのかと、そわそわしながら腕時計を眺める」といった類の退屈です。環境によって退屈させられています。

 

退屈の第二形式は、「何かに際して退屈すること」。

 

これは難しい概念ですが、例えば小さな子どもが親と一緒に旅行に行ったとします。川で釣りをしたり、遊園地で遊んだり、ホテルに泊まって食事をした。でも、ふと思うのです。なんか退屈だと。

 

退屈の第三形式は、「なんとなく退屈すること」。

 

これはハイデッガーが紹介してる概念で、例えば、日曜日の午後に大都会で道を歩いてて、ふと感じる。「なんとなく退屈だ」と。これは根が深い問題で、この第三形式では気晴らしがすでに有効ではないことを示しています。

 

第一形式では退屈に対抗する手段として、気晴らしがあります。

 

第二形式で退屈を回避するための手段が存在しているけど、なんとなく退屈と絡み合ってしまった。しかし、第三形式は気晴らしが無力なのです。これは怖いことです。

 

そして本当に恐ろしいのは、この第三形式にずっととらわれて、「なんとなく退屈だ」という声を聞き続けることなのです。

 

学校に通ったりしてるときは、第一形式が襲いかかってきました。これは気晴らしで対処できます。

 

私がアメリカで感じたのは第二形式のものでした。気晴らしの効果が少し弱い状態です。

 

第三形式は経験したことがないのですが、これは例えば、何かの拍子に大金を手に入れたとします。でも教養がなくて美術館に行っても楽しめない、難しい本も読めない、唯一の娯楽はタバコとお酒とギャンブルだ、みたいな状況ではないでしょうか。

 

自分は日本に帰国してから移動の自由を手に入れたことで、第二形式の退屈が若干和らぐことになりました。自発的に好きな場所に行くことができるようになったからです。

 

そして受験を通して様々な教科を学びましたが、今思えば面白い書物にアクセスする鍵まで手に入れることができたのではないかという気がしています。

 

つまり、知識や教養といったものは、人生で最も手ごわい魔物である、第三形式の退屈と向き合わずに済ませてくれることにあるのではないかと思うのです。

 

バートランド・ラッセルは「どんなに退屈な仕事でも何もすることがない時よりは苦痛を感じなくてすむ」と仕事の効用を説いています。これは第三形式より第一形式に行けということでしょう。

 

芥川龍之介は「われわれを恋愛から救うものは理性より多忙である」と述べています。何かしら作業に没頭している方が幸せなのかもしれません。

 

そこで受験勉強というのは、「することがなくて暇だ」と道路に座ってボヤいてるヤンキーよりは模試に追われて勉強している人の方が幸せなのではないかと思えてきますし、受験が終わってからは楽しめる娯楽が増えることからも、いろいろと副産物をもたらしてくれるのではないかと感じます。

 

一つはっきり言えるのは、今の自分なら、4歳から9歳の頃に味わったあの退屈な環境に舞い戻っても、あの退屈から逃れる自信があるということです。

 

そうすると、人生を楽しむ、味わうには、準備と訓練が必要だとわかります。これらを怠ると第三形式の退屈が襲い掛かってくるのです。お金を持ってても解決できない概念です。人生は究極的には近道やズルができないのかもしれません。

 

 

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